掛川城へと導かれる

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大然

朝ごはんを食べているときに急に掛川城が頭をよぎった。

これは行けというサインなのかと思ったが、行くとなると新幹線を使っても2,3時間はかかる。

さらにお金もかかるし嫌だなぁと思って、思い過ごしかとスルーしようと試みた。

だが頭から一向に離れず、掛川城へと向かうことにした。

エメラルド・タブレットを読み始めてから、こういう直感には素直に従おう。

それがどんな意味があるかは肉体に縛られて物質界に生きる私の視点では何一つ理解できないかもしれない。

だが、もっと広くて偉大なる視点である宇宙意識からすればとても大切な出来事があるのかもしれない。

 

10時前に家を出て、途中で新幹線に乗り継いで12時半に掛川駅に着く。

 

駅を出てすぐに二宮金次郎の像が目に入る。

今の私も書物から学んでいる最中である。

彼についてあまり詳しいことを知らないが、どんな時でも学ぶことで魂を輝かせることが生きる喜びにつながっているのか。

そんな事を彼の像を見ながら感じ、どこか親近感をわかせてくれた。

 

駅から北に歩いて5分程するとすぐに掛川城が目にはいる。

平日の昼ということもあってか人が少なく、とても静かで穏やかだ。

そのまま門を下り、掛川城へと入場する。

 

せっかく来たのだから、天守閣まで登ろうと思い入場券を購入する。

さてこれからお城の中を見ようと進むと、ゆるキャンのパネルを見つける。

 

ゆるキャンはいま出ているコミックスを全てKindleで読んだが、果たして掛川が出てきたであろうかと記憶を探り出す。

志摩リンが正月に綾ちゃんとバイクで東海道ツーリングをしたのは覚えているが、その時の道すがらで関わったのか。

どことなくモヤモヤしながらお城に入る。

 

これまでの人生でいくつかのお城を観光したのを思い出す。

姫路城、松本城、小田原城、大阪城。

それらと比べると掛川城は大きさ自体は小さく、少しこじんまりとしている。

お城の観光シーズンのピークがいつなのかはわからないが、お客は少なかった。

入城するときに靴を脱いで靴置きに入れるのだが、そこには3足ほどしかなく盛況とはいえそうにない。

 

中に入って展示物や掛川城の歴史についてのパネルなどを眺める。

私の歴史の知識は中学までの日本史と、信長の野望と、いくつかの歴史小説から得たものくらいである。

展示されていた歴史パネルをざっくりと要約すると、

掛川城は今川家の家臣の朝比奈氏が建てたものであり、桶狭間の戦いの後に力を失った今川家は徳川家康に攻められてこの掛川城で攻防を行い敗れる。

徳川家が掛川城を所有していたが、豊臣家によって関東に追いやられたときに山内一豊に譲られる。

関ヶ原が終わった後は徳川の譜代大名が脈々とこのお城をついで江戸時代までを乗り越えたそうだ。

 

その中で私にとって印象が深いのは山内一豊である。

5、6年ほど前に私に司馬遼太郎ブームが来て、図書館で借りまくっていたときに「功名が辻」を読んだ。

ドラマの方は一切見ていない。

けっこう夢中になって読んだはずだが、覚えているのは土佐に入ってすぐに地元の力持ちを相撲大会をすると称して騙し討ちにしたことくらいだ。

ちなみに掛川で何をどうしたかというのは全く覚えていない。

むしろここに来て、初めて掛川城と山内一豊にゆかりがあったのかと初めて知ったかくらいの記憶の忘却具合である。

 

織田家、豊臣家、徳川家とそれぞれの力のもっとも強い時に仕えて時流に乗ることができた。

もちろん本人の武力やら頭の良さやらカリスマ性や人間性もあったのかと思われるが、

運の強さやめぐり合わせの良さを引き寄せる何かが備わっている。

それは先天的に持っていたのか、後天的に身に着けたのかはわからないが

生きていく上で、特にこの厳しい時代で名前をあげて人生を全うできた数少ない武将というのが私の印象である。

その彼の力というか光を見て学ぶために、私はこの掛川城へと導かれたのかもしれない。

 

天守閣の入城チケットともに御殿への入場チケットも付いていたので、そちらも周ってみた。

城主さまのお住まいをぐるりと回る。

そこで思ったのが久々に畳の上を歩いた気がすることである。

一人暮らしで転々と移り住んできたがフローリングばかりであった。

そんな中で久々に御殿の畳を歩くとなんとも気持ちいい。

思わず正座もしてその感触を確かめるように味わったくらいである。

これまで実家も含めて畳に囲まれた生活などしたことはないのに、どこかで懐かしさを感じる。

日本人として脈々と受け継がれてきたDNAのせいか、それとも前世かその前によって魂に刻まれし記憶のせいか。

次にどこかへと引っ越すときは畳にかこまれた静寂な日本家屋へと思いが馳せられる。

 

御殿も一通り見お終えて最後におみやげコーナー的なところが目に入る。

特に何も買う予定はなかったのだが、ある一点が目に留まった。

それは本のしおりであった。

今はエメラルド・タブレットを繰り返し読んでいるのだが、その時にしおりが欲しかった。

今までは本に最初からついていた注文カードの紙を挟んでいたのだが、どこか物足りなさを感じていた。

そこへいい感じのしおりが売っているのを見つけたので、即購入にいたった。

掛川の名産品である葛の布を利用したしおりで、見た目の雰囲気に惹かれたともいえる。

 

 

掛川城を見るという目的を果たし、帰路にいたる。

行きと同様に平日の昼さがりということもあり人はとても少ない。

しかし若いときには想像だにできなかったが、この少なさと静けさに落ち着きを感じられるような年齢になった。

私の心は人が多く集まってにぎやかな場所よりは、静けさと平穏に居心地の良さを感じるように変化をしたらしい。

どちらが良くて、どちらが悪いという話ではなく、自分の心にしたがう。

もっともっと自分の内側に入り込みたいと思う。

 

そして家に帰ったわけだが、荷物の整理をしていた時に実は掛川で買っていたもう一つのあるものが見当たらない。

リュックの中や着ていたもののポケットを何度か探しはしたものの一向に現れず。

おそらく今の私には必要のないものだったのだろう。

もしくは必要になるその時まで姿を隠されたのかもしれない。

執着することなく、宇宙の流れに身を任せることにした。