エメラルド・タブレットを4回にわたり繰り返し読んでみた。
著者のドリール博士は百回読めと言っていて、そのうちのまだ4回にしか達してはいない。
3回目までは原文とドリール博士の解説と訳者の林鉄造さんの注釈を通して読み、
4回目は原文のみを通して読んでみた。
するとこれまでは解説と注釈こみでもよくわからなかったのが、原文のみでもある程度わかるようになってきた。
もちろん理解できないところは理解できない。
しかたないのでただ単純に視界へと入る文字の羅列と、脳の中の音声としてのみ通過している。
読んでいると不思議なことなのだが、脳に緊張が走ったり、熱を持ったりするのを感じる時がある。
そして眉間の間の第三の目と言われるような部分が振動しているというか、共鳴しているというか、そんな感じになることもある。
これがエメラルド・タブレットの振動を感じるということなのか?
物質界に束縛されている人間程度の頭では理解できない何かが、この本を通じて私に伝わっているのかもしれない。
さて、この4回の繰り返しを経て私なりに感じたこと、思ったこと、変化したことについて書いてみようと思う。
理解することよりも読んで感じる
通常の読書というのは、本に書いてあることを理解して
それにしたがって何かをしたり、考えを参考にしたりするものだと思う。
だから理解できかったり、納得できない本というものは役に立たない。
そういう認識だったがエメラルド・タブレットを読んで考えを改めた。
読書とは魂を振動させたり、磨き上げる行為であるのかもしれない。
行動力が増す
ここ最近の行動力が増した。
昨日もそうだが思いつきで掛川城に日帰りで行ってみたり、日々の習慣を新しく追加したり、他にも本を読むようになった。
このブログを書き始めたのだってそうだ。
習慣でいうと昔ちょっとやって挫折した「若さの泉」というチベットの体操と
「スワイショウ」という中国の腕振り運動を始めた。
また、読書でいうとエメラルド・タブレットと並行して
「バガヴァッド・ギーター」「古事記」などの古典を読破した。
これらの読書についての感想も機会あればこれからの記事にしようと思う。
朝起きた時にやる気がある
前項の「行動力が増した」に関連するのだが、今年に入ってからあらゆるやる気をなくして無気力になりダラダラと過ごしていた。
色んなものを放り投げて、諦めて、もういつ終わってもいいやという感覚を持っていた。
だから当然、朝起きたとしてもやる気なんか起きるわけもなく、また今日も憂鬱で無駄な一日が始めったのかと思っていたほどだ。
しかし、エメラルド・タブレットを読み始めてから、朝起きてからの一日が楽しみになり
今日はどうしてやろうか、目標にどれだけ近づけるか、成長できるかワクワクしている。
それがここ一週間での感覚であり、体も精神も力が以前より増している。
まとめ
エメラルド・タブレットを何度も繰り返し読んでいくことは、万人に効果があるとははっきりと断言できない。
私はこれまでより良くなったともうが、それをあなたにオススメできるほど真理がわかっているわけではないからだ。
そもそも手に入れること、読み始めること、何度も繰り返し読むことのそれぞれの段階で大きなハードルがあり、
よっぽどの変人でない限り、そこまで至れないのではないのかと思う。
しかし、あなたがもし自分が世間から見たら変人であるという自覚があるのであれば、
この本は大いなる祝福をあなたに与えてくれる可能性は高いと思う。
偶然なのか必然なのか、理解もできていないのに今のところは繰り返し読めており
これからも読もうという意欲がある時点で私は幸せに思う。
エメラルド・タブレットによって、魂が向上し、暗黒を克服して光の子へと至ることを願うばかりである。